登米市での
骨董品出張買取、中古引取
宮城県で登米市で骨董品を売るならオガハンへ!
オガハンでは、掛軸・お茶道具・中国美術・書画・仏教美術・仏像・珊瑚・書道具・香道具・伝統工芸・陶芸品、アンティークなどを色々なジャンルの骨董品を買取しております。 不用品の処分から遺品整理まで、幅広く手掛けるオガハンなら迅速・丁寧にお客様のお手間をかけずに、お客様のお品を処分&現金化の支援をいたします。 昨今、骨董品をはじめとする不用品の買取の依頼の多くは遺品整理や片付け、不動産売買時などがほとんどです。 実は骨董品の中でも、あの超人気番組のように、何十万、何百万円などの買取金額が付くのはほんの一握りです。依頼される多くはお土産品や贈答品などが多いの現状です。しかし、このようなものでも買取できる品物が多ければ買取自体は可能です。 骨董品といってもジャンルが広いため、素人で判断するのが非常に難しいものです。 買取できるものとゴミとして捨てられるものは実は紙一重ではあります。 オガハンではいろいろなジャンルのものを買取しているため、骨董品に限らずご相談下さい。
BEST5登米市で高く売れる?!骨董品の人気買取ベスト5
登米市で骨董品を高く売るポイント
- できるだけまとめて売る
シリーズ物や同じ系統の骨董品はまとめて売るようにしましょう。 特に1点ではお値段が付きずらい、民芸品や置物などはまとめて数がある場合は買取可能な場合も御座います。
- 箱や中の解説書などの付属品を揃える
箱がなるものはできるだけ、元箱などの付属品などと一緒に出すようにしましょう。 ある場合とない場合で査定金額が変わる場合が御座います。
- 保存状態が良いもの
骨董品価値を決める重要なポイントは保管状態です。 陶磁器の場合はヒビ、カケなどがないもの、木彫りや石は破損、割れがないもの、鉄瓶などの鉄器は穴がなく、錆が少ないものなど、その種類により状態の見方も違ってきます。 骨董品は屋内でも何十年と保管していると汚れや黄ばみ、劣化など知らず知らずのうちにつくものです。 補修や余計に触ってしまって価値が下がるよりは、ほこりをとるくらいで留めておきましょう。
登米市での骨董品買取でよくある質問
- ホームページにない骨董品でも査定可能?
ホームページに掲載しているものは、ほんの一部なります。 詳しくは個別にご相談ください。
- 元箱なくても大丈夫?
もちろん元箱はあった方がいいのです、無くても買取自体は可能です。
- 家丸々の骨董品を見てもらことは可能ですか?
もちろん、可能です。 骨董品に限らず、買取できるジャンルものがありましたら、同時に買取可能で御座います。 1点ではお値段が付かないものでも数が多ければ、まとめて買取できるものもありますのまずは御連絡ください。
出張買取対応エリア
登米市の地域紹介
登米市は江戸時代、慶長9年(1604)に伊達政宗の領地となり、その一門である登米伊達氏の城下町として繁栄しました。西部には北上川が流れ、明治時代に入ると河川交通の中継拠点としても発展していきます。明治22年(1889)には登米町となり、「旧登米高等尋常小学校」、「水沢県庁記念館」、「旧登米警察署庁舎(現・警察資料館)」などの洋風建築が立ち並ぶようになりました。現在もそれらの建築が残っており、明治時代の雰囲気を残していることから「みやぎの明治村」とも称されました。
また、江戸時代以前の遺構が残っていることでも有名です。「兵粮山」は天正19年(1591)7月佐沼の役にて、伊達政宗率いる軍が兵糧を運び炊飯の場所としたことで知られています。兵粮山は長沼に面しており眺望が楽しめるので、観光スポットとしても人気です。その他、「佐沼城」は平安末期、平泉を治めた藤原秀衡の家臣、照井太郎高直が築いたとされる城で、その後680年間にわたりその時々の領主が拠点をおきました。現在は公園として整備され、併設された「登米市歴史博物館」で「武家文化と民衆のくらし」の常設展などを見ることができます。
・登米市出身やゆかりのある郷土作家・陶芸家などのご紹介
◆東東洋(画家)
東東洋(あずま とうよう)は、江戸時代中期から後期にかけて活動した画家です。宝暦5年(1755)に現在の登米市石越町に生まれ、14歳の頃に狩野派の絵師・狩野梅笑から本格的に絵画を学び始めました。19歳ごろ京都に拠点を移し、池大雅や円山応挙の影響を受けながら制作を続けていきます。寛政8年(1796)には仙台藩の御用絵師に任じられ、仙台城二の丸表ご紋の障壁画などを手がけています。天保10年(1839)に亡くなりました。
◆石ノ森章太郎(漫画家)
1938年、宮城県登米郡石森町(現・登米市)に生まれました。1956年に上京し、当時手塚治虫らが住んでいたトキワ荘にて漫画家としての活動を開始します。1964年に連載開始した『サイボーグ009』が人気を得て、SF・ギャグ・学習漫画など幅広い分野の執筆や、仮面ライダーなど特撮作品の原作者としても知られています。1998年に亡くなりました。現在、登米市に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」、石巻市に「石ノ森萬画館」などのミュージアムが設置されています。
◆サトル・サトウ(画家)
サトウ・サトルは1945年に宮城県登米郡石森町(現・登米市)で生まれ、現在はフランスを拠点に画家・造形作家として活動しています。1969年にパリでデビューし、幾何学構成主義的絵画や立体作品、環境造形型作品の制作で知られています。2007年、登米市に「サトル・サトウ・アート・ミュージアム」が解説され、サトル・サトウの作品が常設展示されています。
・登米市の伝統工芸品、名産品
◆松笠風鈴
松笠風鈴は、銑鉄と砂鉄で作られる風鈴で、鋳物のざらざらした表面に虫喰いのような無数の穴が開いているのが特徴的です。「松笠」は形状が松笠に似ていることに由来しています。砂鉄を比較的低温で還元する「たたら製鉄」という方法で製作されており、錆に強く、美しい金質を持つとされています。
江戸時代の天明年間(1781~1789年)ごろ、仙台藩主が音色のいい風鈴を求め、それに応じて江田氏10代目の庄右衛門源兼氏が作ったものが「松笠風鈴」です。材料の配合・製法は江田家の門外不出の秘法とされています。
◆杉矢羽木工品
杉矢羽木工品は、登米市津山町の杉材を組み合わせて矢羽根模様にした木材を利用した工芸品です。矢羽根模様を作る技法は、昭和57年(1982)に開発されました。反りや狂いがない正確さが特徴で、木の表面は使いこむほど深みのある風合いになるとされています。
食器やバインダーなどの文具、おもちゃと幅広い作品が制作されています。登米市が舞台となったNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の作中に登場したことでも有名です。
④・登米市の博物館や美術館
◆登米市歴史博物館
「武家文化と民衆のくらし」をテーマにした博物館です。豊臣秀吉から拝領した甲冑など、登米市佐沼地域にまつわる収蔵物や歴史について展示しています。
◆石ノ森章太郎ふるさと記念館
「漫画の王様」と称された漫画家・石ノ森章太郎を記念した個人ミュージアムです。生家やトキワ荘の部屋を再現した展示を見ることができます。
◆サトル・サトウ・アート・ミュージアム
幾何学構成主義絵画やレリーフ、版画など、ヨーロッパの芸術家のコレクションを中心に600点以上展示しています。小学校の校舎を改築して開館しました。